大っ嫌いだった慶応大学の家庭教師と星の王子様

2026年8月3日月曜日

オリジナル小説 きんもくせいが香る頃 家庭教師 昭和の思い出 昭和の話 昭和世代

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 当時は、調子が良くて、母におべっかばかり使う

「うざい先生」だと思っていた。

私の誕生日に「星の王子さま」をくれた家庭教師の先生だ。

でも、後になって振り返ると、実は、私のことをよく見てくれていた人だった。

小学5年生から6年生の頃、私の家には家庭教師の先生が来ていた。先生は、慶應義塾大学の法学部の学生だった。

今思えば、かなり優秀な人だったのだろう。
でも、子どもの私にとっては、そんなことは関係なかった。

やたら、情熱的で、快活で、明るくて、礼儀正しくて、両親はとても気に入っていたし、お手伝いのおばさんも、いつも、その家庭教師をほめまくっていた。

ごはんまで食べていくこともあって、「なに、こいつ……」
私は、そんな風に思っていた。

確かに、アイドル系の顔つきだったかもしれない。母とお手伝いのおばさんは、そんな若く爽やかな(?)、エリート大学生のファンになっていたのだろうか。

私にとっては、ただただ、暑苦しくて、
鬱陶しくて、いちいち腹立たしいだけだった。

ある日、誕生日が近づいて、楽しみにしていた私は、ドヤ顔で(たぶん)、そのことを先生に告げた。

「先生、来週は私のお誕生日会なので、お勉強はお休みになります」

たぶん、少し得意げな口ぶりで言ったと思う。
子どもにとって、誕生日というのは特別な日だ。

あの当時(昭和40年代)、「お友達のお誕生日会」は
楽しいイベントみたいなものだったから__。

友達がたくさん来る。
ケーキや揚げ物、手づくりドーナッツやクッキー、
おいなりさんに、ちらし寿司、綺麗に盛られたお料理がある。

そして、招かれた子たち、一人分ずつ、小さな袋に分けて渡されるおかしの包み。友達たちからプレゼントをもらい、ひとつづつ開いていく。

その日は、当然、勉強なんてしたくない。「お勉強は休み!」

一年に一度の、一大イベントなんだから……と、
どや顔だったはずのあの日の私。

ところが先生は、あっさり言った。

満面の笑みで、私をのぞき込み、

「あ、そぉ~!おめでとう!」

ここまではよかった。

次の言葉を聞いて、私は心の中で、崖から真っ逆さまに落ちた。

え?


「じゃあ、先生もぜひ参加させてもらおうかな。
プレゼント楽しみにしていてね」

そこに、カルピスとカステラを運んできたお手伝いのタカおばちゃんが、口を出す。

「そうそう、ねえさん(母)も、先生に参加してもらおうって言ってましたよ。先生もおごっつぉ(ごちそう)、たくさん作るから、食べていって」


なにーっ?!
余計なことを……、おしゃべりタカめ……💧

しかも、先生は、
さらに、

「そっかー!ぜひ、参加させてもらいます!
その前に勉強するから、いつもより1時間早く来るね」

と言った。

私は内心、

なんだこの先生!

と、また思った。

せっかくのお誕生日なのに、勉強時間を増やす?!
しかも誕生日会に参加する?!


私は、完全にふてくされた。

そして、お誕生日会の当日。

友達が集まり、ハッピーバースディーを歌い、ろうそくの火を消してケーキやごちそうを食べる。そういう時間を少し過ごしたのち、ゲームを始めた。

すると、予想外のことが起きた。

友達が、先生を気に入ってしまい、ゲームで盛り上がっていく。
一緒に食べて、話して、ゲームをして___。

先生は、まるで前からの知り合いのように、子どもたちの輪の中に入っていた。
しかも、先生はみんなに、小さな可愛らしいノートまで、一冊づつプレゼントを用意していたのだ。


誕生日会が終わる頃には、
私以外の友達はすっかり先生のファンになっていた。

「先生、小学校の校庭に行こうよ!」

誰かが言い出した。

誕生日会の後、みんなでドッジボールをする予定だった。

普通なら、このタイミングで先生は帰るところだ。
小学校まで、子供の足では、余裕で20分近くかかる。

でも先生は言った。

「いいよ、一緒に行こう」

私は思った。

え、えぇぇ……?!


慶應の法学部の大学生だよ?
しかも、学校は家からそんなに近いわけでもない。
なんで小学生のドッジボールについてくるの?


その時の私は、見てわかるくらい、相当、ふてくされていたはず。


「うざい、二度と来てほしくない、もうやめてほしい」

くらいに思っていた。

でも、今になって思う。

先生は、たぶん私のことも、十分、分かっていた。

家庭教師として家に来ていれば、子どもの様子だけではなく、その家の空気も感じることがあるし、そもそも、わかっていて、家庭教師を引き受けて来たのだろう。

そして、私に必要なものは、
ただ勉強を教えることだけではないと感じていたのかもしれない。

先生が誕生日にプレゼントしてくれたもの。

それは「星の王子さま」の絵本だった。

その時の私は、もちろん深い意味なんて分からなかった。
ただのプレゼントとして受け取った。

でも、中学生になった頃、ふと思った。
なぜ先生は、この本を選んだのだろう。

「星の王子さま」は、
”目に見えるものだけでは、大切なものは分からない”
ということを描いた物語だ。


先生が、そこまで考えて選んだのか、本当のところは分からない。しかし、あの本を私にプレゼントしたのは、きっと、そういうことなのだろうと思っている。

あの日、プレゼントを開いたあと、一度だけ、全部、読み聞かせをしてくれた。そして、何を質問されたか忘れたが、本の中の花を指さして、何かを私に伝えていた。

きっと、心配していたんだろうなと___。
それは、今になって、思うこと。

小学生の私は、大っ嫌いな先生だったから、なにもろくに聴いていなかった。
ふてくされて、やる気のない生徒だった。


しかし、中学2年生頃から、私は、何度も何度も、その本を繰り返し読み返すことになる。その本を、14歳になって読み返したとき、先生に対する、深い感謝を覚えたのだ。

半世紀以上も経った今、

私はもう、先生の名前も覚えていない。
今どこで何をしているのかも知らない。

でも、あの時の姿は覚えている。

当時流行していた、前髪を9対1くらいに横へ流した髪型。目に入りそうなくらいの長い前髪。そして、その間から見える二重瞼の大きな目。八重歯とえくぼ。いつもボタンダウンのチェックかストライプのシャツに、IVY風のズボンをはいていた。

このやたらテンションが高い慶応の学生を、
子どもの私は「なんだこの人」と思っていただけだった。

でも、今なら分かる。
人は、後になってから、「尊い意味があった出会い」に気づくことがある。

その時は分からなかった優しさ。
その時は気づかなかった想い。

人生には、気づかないところで、誰かを支えている人がいる。

あの先生は、私の人生の中で、そんなひとりだったのだと思う。

そして、教育の基本は、そういうところにあるのではないだろうか。

ちなみに、法学部だったが司法試験は2回くらい落ちて、普通の会社員になったらしいという風の便りは、それから10年も経ったころ、私の耳に入ってきた。

それでも、私にとっては、人生の恩人のひとりであり、
生涯「先生」と呼べる人だ。

多分、あの頃、先生は、
私が嫌っていることも分かっていただろう。

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【The World of Showa Sonata】No1-e

昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。

昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。
【今月の昭和の景色】昭和30年の地方の駅前の喫茶店。
昭和という時代__。 表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。政治の表にいた人達、その裏にいた人たち。
命を投げ出して守った人たち。不撓不屈の不退転で再生していった人たち。居場所を失った人たち。二度と立ち上がれず忘れ去られた人たち。夜の世界で生きた光る女たち、うずくまる女たち。バブルにおぼれて消えていった人たち。貧しさに押し流された家族。心の居場所を失った人たち。誰にも語られなかった生活の痕跡___。

華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような昭和の断片を、書き続けています。

これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ひとりひとりのソナタの旋律のように執筆中。

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