小説の文章を書く時に、私がこだわっていること

2026年8月27日木曜日

オリジナル小説 キンドル小説 私の流儀 文章

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『きんもくせいが香る頃 第三巻①」ザリガニとりと賭場


ジャンルによって、必要なものは少しずつ違うかもしれないけど……。

説明文や論文なら、正確さ、論理的にまとめられた、

無駄のない文章が大事なこともある。


しかし、童話は別として、小説などストーリーを

伝える文章で必要なのは、それだけじゃない。


私が物語を書く時に、『絶対的基本』にしていること__。

つまり、私が書く時に、なにを一番大切にしているか。


それは、


温度、息づかい、見えない涙、様々な速度の鼓動、空気、匂い。


そういうものだ。


それらが、すべての物語を動かして、

進行させていくといっても過言じゃないとさえ考えている。

泣いていると書かなくても、その人が泣いているのがわかる文章に、

難しい比喩はいらない。


悲しいと書かなくても、悲しさが伝わって浮かんだ情景、

見た記憶から涙は書ける。

寒いとか暑いとか、そんなものをしつこく書かなくても、

その場所の空気が肌に触れるように感じる。

雨の匂いや、古い家の匂い、夕方の道の空気まで、

読んでいる人の中に浮かんでくる。


高尚な文章じゃなくていい、難しい文章じゃなくてもいい。

難しい漢字や難しい言い回しを使えば、

小説がそれらしく整っているようにみえるのは、

棚にきちんと並んだ本を眺めるのと同じで、すべての背表紙は覚えられない。


そこには、温度がない。息づかいもない。


様々なテクニックはあると思うが、少なくとも私が思う

「必要な最大値」は、「浮かぶ・感じる文章」だ。


まるで、そこに自分がいるように感じられる文章だ。


最近は、難しい漢字の造語を使ったり、昔の文豪のような言い回しを、

参考にしているのではないかと思える文章も、増えている気がする。


しかし、残念ながら、大概の場合、

伝わってこない。

まあ、人様の文章をあーだこーだ言える身分ではないが、

私が物語を書く時、

私個人の決まり事として、

内容の温度が伝わる言葉で書いているつもりだ。


子供が主役なら、子供目線の文章。

その場合、当然、少し幼い語り口調になっている。


太宰には太宰の文章がある。武者小路には武者小路の文章がある。


影響を受けて学ぶことは必要で、私は中学の時には夏目漱石を読み漁り、高校以後は、村上春樹や向田邦子、山崎豊子、林真理子、よしもとばなな等もよく読んだ。


しかし、大人になってからは倉本聰さんの言葉選びが、とても好きだ。作品は全部好きで、「北の国から」はもちろんのこと、「風のガーデン」も、とても好き。



しかし、それを真似したところで、私自身の文章になるわけじゃない。

読み漁って影響をうけて、多少似てる視点が入ることはあるかもしれないし、多分、本当に心底好きな作家は、なぜ好きなのかと聞かれれば、視線を向ける先、視点が好きなんだろうと思う。

(「倉本さんは自然を描く、私も自然が好きだから」という陳腐な意味ではありません)

そして、その視点が好きで、

そういう作品を描きたいという気持ちは、よいと思っている。


うん。それはそれでよいと思う……。

真似じゃなくて血肉になっていくから。


私が思う、文体そのものの「巧み」の判定とは__。


特に小説では、ひとつしかない。


読んでいて、文字で映像が動くように

文字を追うごとに「目の奥から、脳と心に入ってくる文章」かどうか。

映画を見るように浮かぶその場面。感じる温度、匂い、鼓動。


そこに尽きると思っている。

難しい言葉を使っていなくてもいい。

少々幼稚に見えてもいい。


読んだ人がその温度の中に入っていける、

そんな文章を目指したいといつも考えている。


文章は、書いた人が悦に浸るためにあるんじゃない。

少なくとも、見せない日記以外は……。


小説は、読む人のところまで届かなければ意味がない。


私はこれからも、できるだけ難しい言葉を使わず、まるで、すぐ隣で話を聴いているように、すーっと入ってくる文章を書きたいと考えている。


人の温度が伝わる文章。

息づかいが聞こえる文章。

見えない涙が見える文章。


それが、私が小説を書くときに大切にしていることであり、いつもそうありたいと、これからも意識して、目指し続けるものだ。




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【The World of Showa Sonata】No1-e

昭和という時代__。 表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。政治の表にいた人達、その裏にいた人たち。
命を投げ出して守った人たち。不撓不屈の不退転で再生していった人たち。居場所を失った人たち。二度と立ち上がれず忘れ去られた人たち。夜の世界で生きた光る女たち、うずくまる女たち。バブルにおぼれて消えていった人たち。貧しさに押し流された家族。心の居場所を失った人たち。誰にも語られなかった生活の痕跡___。

華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような昭和の断片を、書き続けています。

これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ひとりひとりのソナタの旋律のように執筆中。

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