私の考える「昭和」と「命の骨」AIは描こうとしない。描かせない。

2026年8月28日金曜日

AI オリジナル小説 キンドル小説 ノスタルジック ノンフィクション 画像生成 昭和の思い出 昭和の話

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『小さな親切、大きなお世話』の暴走度が増すGPTのお絵描き

小説のダイジェスト動画の絵を、GPTに描かせている。

でも、これがかなりストレスになる。

こちらがプロンプトに細かく書いているのに、GPTが勝手に暴走して、「こっちのほうがいいかも」とでも思っているのか、プロンプトには書いていない余計なことを足してくる。

人物を勝手に変える。
服を変える。
背景を変える。
立ち位置を変える。
時間帯を変える。
ここだけ直してと言っているのに、他の部分まで勝手に変えてしまう。

ほんとにやめてほしい。

「他は変えてはいけない」と釘を刺しているのに__。

AIの進化が、勝手な思い込みで先走る方向に進むのはやめてほしい。

『小さな親切、大きなお世話』とはこのことだ。

私は、最初に出版した『バーバー田中のせっちゃん」の絵を、絵師にお願いした。訂正する部分も丁寧に説明すれば、ちゃんと直してくれる。

絵師さんにお願いした『バーバー田中のせっちゃん』の表紙絵

『バーバー田中のせっちゃん 夏休みの村』(Amazonキンドル)

たとえば、その絵師さんが「訂正…じゃあ、ここも直したほうが喜ぶかも」と、勝手に、ストーリーとかみ合わない絵にしてしまったら依頼主はどう思うか。

でも、まあ、まず、そんな絵師はいない。
そこが、大きなお世話のAI画像との大きな違い。

私は、何度も、もう、絵をAIに描かせるのはやめようかと思った。

でも、六巻まであるものを二巻まで作ってしまったし、三巻もある程度作ってしまった。今さら途中でやめるのも気分的によくない。

だから続けているわけだが……(ハァ。。。)

◇ー◇-◇

ところで___。

三巻の動画に使う絵で、どのシーンをもう描いたのか、どのシーンをまだ描いていないのか、ストレスだらけのプロンプトに疲れて、だんだん自分でもわけが分からなくなってきた。

それでGPTに、

「一回整理して、リストアップしてみて」

と、絵のシーンをリストアップさせた。

すると、また勝手にバイアスをかけて、ものすごい数、網羅してきたが、ほとんど、なんでここ?なんでこんなに?あれは?あのシーンは?

と、(ハァ……)

必要なシーンを抜かす。

その一方で、ひとつの場面を

やたら映画のカット割りみたいに細かく分けて、もっともらしく並べてくる。

その文章を書いた私の立場からしてみれば、

何を考えて、AIにその場面を描かせようとするか、すべて意味がある

◇ー◇ー◇

  きんもくせいが香る頃 第三巻① 
従兄の圭一郎にいちゃんとゴーゴー喫茶に行ってサンドイッチを食べる。
「圭一郎は不良だ!」と思った日。つけまつげバチバチのお姉さんが魔女に見えた日。

◇ー◇-◇

そして、

実写映画を作っているわけでもないし、
人間の俳優を使って撮っているわけでもない。

AIに静止画と短い動画を作らせて、
それをつないで動画にしている。

もちろん、もっとサクサクと、今のような多大なストレスもなく、同じ人物、同じ顔、同じ服装、同じ背景、同じ時間帯、同じ場面のまま、カメラアングルだけ変えた画像を何枚も描けるなら、いくらだって描かせたい。

でも、今の状態では、絶対に、それはできない。こだわった場面では、一枚描くのに半日かかることだってある。

勝手に、どや顔でもしてるかのような自信満々なアドバイス口調で、映画みたいに一つの場面を何カットにも割って、「ここも描きましょう」「次はこれ」「このシーンは欠かせない」と簡単にたくさん並べてくる。

そのくせ、あのシーンは大事だから入れると、私が伝えても抜け落ちる。

そして、さらに、もっと気になることがある。

GPTは、ビジュアル的にやさしげな絵ばかり描きたがる。

かわいい子供。
花。
笑顔。
家族。
食卓。
平和な風景。

そういう絵ばかり選びたがる。

でも、私は昭和をそんなふうに描きたいんじゃない。

アネモネやタンポポや桜の花びらが散る、平和でめでたい場面。

もちろん、そういう場面だって昭和にはたくさんあった。

でも、その数と同じくらいに。

激情もあった。
激しい怒りもあった。
苦しいくらいの愛情もあった。
全力で何かを守る人生もあった。
刹那的に消えていった命もあった。
無慈悲に消えた命もあった。

食堂のテレビで、店全体が盛り上がった相撲や野球、
沢村のボクシング中継への歓声も、昭和世代には懐かしい場面。

みんな、懸命に生きてきた。
全力で笑ってた。
全力で泣いた。
全力で怒った。
全部が全力の時代だったんだ。

どんな世界も。
どんな業界も。

   
『きんもくせいが香る頃 3-①」(万華鏡のようなアパート)より。
土木作業員(土方のおじちゃん)と、虚無僧のおじちゃん。

◇ー◇-◇

今は、そこにいちいち善悪の判定、正義の定義を一律でつける。

これは正しい。
これは間違っている。
これは危険。
これは不適切。

そうやって、何でも分類する。

でも、人間なんて一面だけではできていない。
あの頃の大人たちは、それを知っていた。

助け合い、信じ、修復し、期待し、再起し、反省もし、
そして誰もが、他人の人生をちゃんと尊重していた。

戦争を越えてきた大人たちだったからだろうと思う。

戦争を超えたとは、屍を超えて生き抜いたということだ。

人間が熱く、本気で生きていた時代だった。

だから、動画の中に、どきっとする場面も絶対に必要。

やさしい絵ばかり並べたら、平坦になる。

きれいに美化していないか、という話になる。

私は、怖い絵を入れたいわけじゃない。

刺激がほしいわけでもない。

そこにあった熱を抜きたくない。

人間が本気で生きていた、そのエネルギーを消したくない。

アネモネもある。
タンポポもある。
桜もある。

その横に、怒号もある。
泣き声もある。
歓声もある。
死もある。
愛もある。
激情もある。

全部入らないと、

「私の昭和奏鳴曲」じゃない。

だけど、GPTは、今夜も勝手に

「このほうがいい絵だよ」と言わんばかりの、
可もなく不可もなく、なんとなくよさげ~✨
という、絵に変えたがる。

命の骨を書きたがらないコンプラ上等!

抗って、抗って、最後まで書かせてやる。

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【The World of Showa Sonata】No1-e

昭和という時代__。 表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。政治の表にいた人達、その裏にいた人たち。
命を投げ出して守った人たち。不撓不屈の不退転で再生していった人たち。居場所を失った人たち。二度と立ち上がれず忘れ去られた人たち。夜の世界で生きた光る女たち、うずくまる女たち。バブルにおぼれて消えていった人たち。貧しさに押し流された家族。心の居場所を失った人たち。誰にも語られなかった生活の痕跡___。

華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような昭和の断片を、書き続けています。

これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ひとりひとりのソナタの旋律のように執筆中。

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