「日本は遅れてる国」という声

2026年6月11日木曜日

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「進んでいる国」「遅れている国」という言葉に、私が違和感を覚える理由

以前、私は 「進んでいる国」「遅れている国」という言葉について、 違和感を覚える理由を書きました。 最近、日本に対して 「日本は遅れている」 「教育を変えなければ、もはや先進国とは言えない」 といった言葉を、耳にする機会が増えたように感じています。 

 特に印象的なのは、 30年ほど前までは後進国と呼ばれていた国々が、物理的・経済的に豊かになるにつれ、日本に対して、そうした評価を下す場面が目立つようになったことです。


  もちろん、経済的な成長や物理的な豊かさは、 生きる上である程度大切な要素です。 

 欧米を中心とした価値観では、国の「進歩」や「成熟」は、GDPや利便性、所有物の量など、目に見える指標で測られることが多いのも事実でしょう。 

 しかし、日本は本来、 それだけで「豊かさ」や「成熟」を語る国ではなかったのではないか、 私はそう感じています。 

 「足るを知る」という言葉があるように、 日本には、物の多さや金銭的価値だけでは測れない、 心のあり方や、人との関係性を大切にする文化がありました。



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【The World of Showa Sonata】No1-e

昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。

昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。
【今月の昭和の景色】昭和30年の地方の駅前の喫茶店。
昭和という時代__。 表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。政治の表にいた人達、その裏にいた人たち。
命を投げ出して守った人たち。不撓不屈の不退転で再生していった人たち。居場所を失った人たち。二度と立ち上がれず忘れ去られた人たち。夜の世界で生きた光る女たち、うずくまる女たち。バブルにおぼれて消えていった人たち。貧しさに押し流された家族。心の居場所を失った人たち。誰にも語られなかった生活の痕跡___。

華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような昭和の断片を、書き続けています。

これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ひとりひとりのソナタの旋律のように執筆中。

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