ごり押しが通る国にしないために――譲る優しさと、譲らない勇気

2026年6月11日木曜日

japan ごり押し 多様性 提灯Lab

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 日本人は、争いを嫌う。

誰かが強い口調で言えば、「まあ、今回は」と譲ってしまう。
その思いやりは美徳だけれど、度を越せば“隙”になる。

実際、いま外国人コミュニティの中で、「日本は押せば通る」という印象が広まりつつあるという。
声を大きくすれば通る、主張すれば変えられる――そう学ばれてしまった。
これは、善意の誤解を利用された形だ。

行政や学校が“波風を立てたくない”という理由で、
少数の要望に過剰に応じてしまう。
例えば、宗教的な理由で「豚肉を使うな」と言われれば、
全体の給食献立を変えてしまう。


もちろん、信仰の自由は尊重されるべきだ。
だが、「食べない自由」があるなら、「食べる自由」もある。
どちらかを消してしまえば、それは共生ではなく支配だ。

欧州では、こうしたケースに対して「公共の原則」を守る。
宗教に合わせるのではなく、宗教の側が調整する。
それが本当の多様性だ。

日本の問題は、宗教や移民より前に、大前提の“対応の姿勢”の甘さにある。
事なかれ主義が、結果として文化を削り取っている。
「ごり押しが通る」と思われた瞬間、日本の良さは壊れ始める。

日本の「和」は、黙ることではなく、礼を尽くして意見を交わすことだった。


静かであることは、従うことではない。
理不尽なことに「それは違います」と言える強さこそが、
本当の礼儀だと思う。

譲る優しさと、譲らない勇気。
その両方を持って初めて、
日本人の穏やかさは「誇り」に変わる。
ごり押しが通じる国にしないために――
必要なのは、声を荒げないまま「NO」を言える静かな強さだ。




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【The World of Showa Sonata】No1-e

昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。

昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。
【今月の昭和の景色】昭和30年の地方の駅前の喫茶店。
昭和という時代__。 表舞台に立つ者と、その陰で静かに生き抜いた者たち。政治の表にいた人達、その裏にいた人たち。
命を投げ出して守った人たち。不撓不屈の不退転で再生していった人たち。居場所を失った人たち。二度と立ち上がれず忘れ去られた人たち。夜の世界で生きた光る女たち、うずくまる女たち。バブルにおぼれて消えていった人たち。貧しさに押し流された家族。心の居場所を失った人たち。誰にも語られなかった生活の痕跡___。

華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような昭和の断片を、書き続けています。

これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ひとりひとりのソナタの旋律のように執筆中。

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