そこにこそ、まだ、AI時代における「人間性の不可逆領域」が存在していたはずだった。

2026年6月30日火曜日

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 研ぐ文化と効率化…限界か?

――AI時代における、本来の『人間性の不可逆領域』について

日本の包丁は、研げば五十年、百年と使い続けることができる。

この事実は、単なる製造技術の高さを示すものではない。

そこには、道具と人間との関係性、さらには文化としての時間の捉え方が反映されている。


包丁は消耗品ではあるが、使い捨てではない。

使い手が研ぎ、癖を知り、刃の状態を見極めながら付き合っていくことで、包丁は、「ただの物」から「不可欠な関係」へと変化する。

刃の減り方には使い手の履歴が刻まれ、研ぎ直す行為そのものが、自然と責任・注意を再確認する時間となる。


「研ぐ」という工程は、効率の観点から見れば非合理である。

たとえば、包丁一本でもステンレス包丁やセラミック包丁は、錆びにくく、管理が容易で、交換も簡単だ。理論上は、こうした道具のほうが合理的であり、効率的である。

しかし、実際、日本の包丁専門店に足を運び一本の包丁を求める人々は、国内外から、まだまだ訪れている。彼らが求めているのは、単なる切れ味だけではない。

そこに残されている「人間の関与の痕跡」である。


研ぐ行為には、時間がかかる。

失敗の可能性もある。

扱いを誤れば怪我をする。

つまり、日本の包丁は使い手に責任を要求する道具だと言える。

この緊張関係こそが、道具への信頼を生み、使い手の意識を高める。


さらに、

その結果としての連鎖が生まれる。

たとえば、

手をかけた道具で料理をする。

料理に愛情と責任が宿る。

自然と誰かに食べさせたくなる。

温度のある反応を受け取る。


そして、

その経験が、また次の「研ぐ」行為へと戻っていく。


この循環は、効率化とは、本質的に相容れない。

効率とは、ほとんどの場合、工程を削減する概念だ。

しかし、「研ぐ」という行為__ここで重要なのは工程そのものだからである。


AI時代が世の中の基盤となり、世界を網羅していく時代

AIや自動化技術は、結果・速度・再現性・コストといった指標において、圧倒的な優位性を持つが、前出の例のような「研ぐ」こととは、根本的に違う。

だから、「研ぐ」という、行為への責任や自負と、身体感覚が直結する行動に価値を求めるなら、AI時代のコストや効率という優位性は、必ずしも、何にも勝る価値にはならない。

料理、教育、医療、思想、芸術。

本来、これらの分野は、過程そのものに大きな意味があり、注意や判断の積み重ねが成果の質を左右してきた。

しかし、これらのものの最優先に効率を持ち込むと、一時的な利便性と引き換えに、なにかが成功したような感覚にはなるだろうが、むしろ、人間ならではの思考分野が少しずつ消えていき、長期的な空洞化が生じることになるだろう。

それは、空洞化した人間の思考領域から、「かつてのなにか(研ぐ)」が、どこかに押しやられるわけではない。ただ、それは希薄になり、少しずつ消えていくことになるであろう未来に向かう。そして、人類の選択は、そちらに舵を切り始めた。


しかし、反面、その利便性と効率に対する、本能的な危険性や「研ぐ」時代を失う怖さを、少なからず感じ始めている声も聞こえはじめている。

効率を、第一原理としてきた欧米社会においても、近年、手仕事やクラフト、ローカル性、スローフードといった価値が再評価され始めている。

これは新しい現象でもなんでもない。

ただ、失われた感覚、失いつつある感覚に気づき、やっと「事後的に回収」しようとする動きなだけだ。



人間は、完全な自動化に耐えられない。

自分が選び、関与し、引き受けているという感覚が失われたとき、

そこには必ず反動が生まれる。

それは、強い拒絶かもしれないし、距離を取るという形かもしれない。

場合によっては、より強い社会的混乱として現れる可能性も否定できない。


すでに、すべての分野にAIが入り込む未来は、どんどん進められている。

しかし、人間が「研ぐ」という行為を完全に手放すことはできない。

研ぐとは、「自分の温度と、自主的思考と、人間らしい責任を取り戻す行為」だからである。包丁を研ぐ手が消えない限り、人間は完全には自動化されない。


【補足】

※これは1年前に書いた記事だが、今、その「研ぐこと」が、不可逆的に手放す方向に、自ら何の疑問もなく向かい始めた多くの人間、流され始めた多くの人間が、確実に増えている。

「生き物としての人間が変わっていく」時代の到来。


一年前に書いた、このような記事の情緒的視点など、もはや通用しない、AI・AGIの世界。

シンギュラリティは確実に、すごい速度で進化し、やがて、気づかぬままに人間を襲い始めるだろう。




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昭和にこだわる「昭和のかたりべ」の一人として。

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華やかさでも、暴力でもなく、ただ「人」の温度が熱かった、温かかく、時に残酷で、熱く灼熱の太陽のような昭和の断片を、書き続けています。

これは私自身が見てきた人々の奏鳴曲(ソナタ)であり、昭和という時代の協奏曲(コンチェルト)でもあります。
ひとつひとつの旋律を、ひとりひとりのソナタの旋律のように執筆中。

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